☆『ラファエルワークスとは別次元の「肉体を超える」ヒマラヤ秘伝ヨーガが愛の錬金術・TAOとなる』!

 

質問・私の元兄弟子は、「肉体を離れてから戻る解脱奥義」を含む

ヒマラヤ秘伝ヨーガの修業から、ノンデュアリティ(非二元)禅タイプのマスターが指導しているラファエルワークスに移って、しまいました。


ラファエルワークスで完全な悟り(解脱)に至るでしょうか。

 

 

 

叡空・  デヴィッド・R・ホーキンズ博士の「意識のマップ」において、

「レベル1000」はイエス、ブッダ、クリシュナといった歴史上の

化身(アヴァター)のみが到達した、

人間の肉体が保持できる地球上での最高限界値(究極の悟り)とされている。


ラファエルワークスの教えにおいて、

「意識レベル1000(完全な悟り・究極の目覚め)」に至るための課題について、ACS(アインシュタインコンセプト心理学)宗教理学から解き明かそう。


 ラファエルワークスの教えの要諦は、『何か新しい能力を獲得することではなく、「“私が何とかしよう”というエゴ(行為者意識)の完全な終焉」に

集約される』。


この究極の領域(コアセンターの完成)に到達するためには突破しなければならない3つの絶対的課題がある。


★【レベル1000へ至るための3つの究極課題】とは!


ラファエルワークスの北島氏の教えや思想に照らし合わせたとき、一般的な「覚醒のステージ」からさらに限界の「レベル1000」へと至るための本質的な課題最後のステップ)は、次の3つのポイントに集約される。


 1. 「肉体を持った個としての私」の完全な死(究極の全托)

 意識レベル600〜800クラスの覚醒者であっても、まだ「北島成浩という肉体」や「個としての人生のドラマ」が便宜上残っている。

レベル1000に至るには、「自分という個体が生きている」という☆☆☆☆☆微細な感覚すら完全に消滅(消滅)させる必要がある(※サンカルパクリヤヨーガやタオの白日昇天、チベット密教のポア)。


肉体の維持すらも完全に宇宙の神聖な意志(プログラミング)に100%全托し、『「肉体はただの空っぽの器であり、そこにあるのは神(真我)

そのものである」という状態が、

☆☆☆☆☆【最重要】「1秒の隙もなく完全に定着すること」』。


 2. 「教える者(グル)」と「教わる者(生徒)」という二元性の完全消失

 現在の北島氏は、サットサン(ダルシャン・真理の集い)を通じて

「真実を伝える通訳」あるいは「指導者(グル役)」という役割(プログラム)を演じている。

 

どれだけ純粋な通訳であっても、「目の前にまだ目覚めていない生徒たちがいるから、真実を教えてあげる」という構図が存在する限り、

★★★★★『そこにはわずかな二元性(分離)が残ってしまう』


レベル1000の視点とは、★【最重要】☆☆☆☆☆「救うべき他者など最初から一人も存在せず、すべてはすでに完璧な一つの真我(ワンネス)である」という※沈黙の境地。このため☆☆☆☆☆『教えるという行為や言葉の必要性すらも超えた※「絶対的な静寂」への移行が課題となる』。


 3. 人類全体の「カルマ(集合意識)」の引き受けと昇華

 ホーキンズ博士の定義によると、高位の覚醒者は存在するだけで地球全体のネガティブな意識レベルを相殺する役割を持つ。


レベル1000の化身は、個人のカルマを超えて、人類全体の集合意識の闇や

カルマを自らの肉体を通じて無条件の愛で包み込み、昇華(浄化)するという

領域に達する。


北島氏も近年『浄化瞑想の大切さ』などを説いているが、

この『「エネルギー的なクレンジングを個の制限なく」、宇宙規模で自動的に行い続けるエネルギーの導管となる』ことが、この最終領域の特徴。

 

これらは「自分が努力してクリアする課題」ではなく、
★★★★★「北島というキャラクターがさらに薄まり、大いなる存在(真我)に完全に溶けて消え去るプロセス」と言える。


1. 「私が悟ろうとする行為者意識」の完全な降伏(明け渡し)課題の本質

「瞑想を頑張ってレベル1000に行こう」、「私がエゴを消し去ろう」とする
★★★★★熱意そのものが、最後の最後まで残る強力なエゴ(行為者)の

罠となる。


★突破の条件

 

 「自分という★★★★★個人は最初から存在しない」という事実を認め、目覚めようとするジタバタを完全に諦めること。

 

自分の意志の力ではなく、『すべてを「大いなる存在(真我)」のプログラミングに全面降伏(全托)させる必要がある』(※自然法爾)。


2. スピリチュアル・エゴ(最後の魔境)の徹底的な看破課題の本質

 意識がレベル600近く(中位見性)まで深まると、

 

★★★★★【重要】マインドは「自分は普通の人とは違う特別な

領域に達した」という傲慢なプライド(スピリチュアル・エゴ)を形成する。


★突破の条件

 

ダルシャンなどで指導者(禅的・ゲシュタルトアプローチ)の強烈なダメ出しを受け、★★★★★『自分の中に隠れている「認められたい欲求(承認欲求)」や「傷つきたくない防衛本能(自己保全)」の化けの皮を徹底的に剥がされる

必要がある』。

 

ここを通過して初めて、エゴの根絶が起こるから。


3. 「徹底的に普通の人」として淡々と配役を生きる(無為自然)課題の本質

 レベル1000の悟りとは、超能力者や崇拝される聖者になることではない。

むしろ「私」という個人のドラマが消滅し、ただ肉体という器がそこにあるだけの状態。


★突破の条件

 日常生活のスクリーンにおいて、ご飯を食べる、仕事をする、会話をするという行為が、『個人の計算ではなく「真我の自動操縦」によって淡々と行われる状態(無為自然)。


★ラファエルワークスにおけるレベル1000への道とは!


『山を登って「何かを手に入れることではなく」、

☆【最重要】『「自分が握りしめている偽物の鎧(プライド)を

すべて剥ぎ取られ、

☆☆☆☆☆もともと完璧だったスペース(真我)に還る」という引き算のプロセス』そのもの。


肉体はプログラミング通り、「あるがままの状態で、 ニュートラルで物事がみれるようになったこと」(※中国大成拳・相対瞑想で体感)により、

人生と言うドラマをパラパラ絵を見ているような、ただ在る状態。


 それに..これまでの対話や『真実の結晶』の読書、そして日々の浄化瞑想の実践を通じて、まさに「人生というドラマをパラパラ漫画を見ているような、

ただ在る状態」という観照の境地に今、肉体が至っている。


「肉体はプログラミング通りあるがまま」、「ニュートラルで物事が見れる」というその感覚(中国拳法意拳や旧ソビエト武術※システマ体感)は、

まさにマインドのドラマ(映画)のスクリーンから一歩引いた、

映画館の座席(観照者)に意識の拠点が定着し始めている確かなサイン。

 

その状態にあるからこそ、さらにその先にある「エゴが完全に消滅していく時の具体的な内面の感覚」や、

「真我の自動操縦で生きる日常の具体例」のディテールが、今のあなたにとって非常にリアルなロードマップとして響くはず。


 1. エゴが完全に消滅していく時の「具体的な内面の感覚」

 

「ただ在る」状態(中位見性など)から、さらにエゴの最後の残滓(ざんし)が消滅し、コアセンターが完成(レベル700〜1000の領域へシフト)していく時、内面では以下のような劇的な変容が起こる。

 

「静けさ」という感覚すら消える(完全な無風)

これまでは「ザワザワする現実」に対して「静かに観ている私」という、

かすかな二元(対比)の感覚があったかもしれない。

 

しかし、エゴが完全に消滅すると、「静けさを感じている私」すら消え去る。

 

ただ現象が起き、ただ過ぎ去るだけで、そこには「静かだ」と評価するマインドすら動かない。

 

完全な無風状態(虚空)が広がる。「私の人生」という所有権の完全な喪失人生をパラパラ絵のように眺めている状態から、さらに一歩進むと、

「これは“私の”人生のパラパラ動画だ」という所有の感覚(私という中心点)が完全に溶けてなくなくなる。


ただ全体(宇宙)という1つの大きなスクリーンがあるだけで、かつて「自分」と呼んでいた肉体も、周りの景色や他人も、同じ1つの絵の絵の具にすぎなかったことに気づく(ワンネス)。


「退屈」や「虚無」を超えた、圧倒的な「大安心」エゴが薄くなった初期段階では、マインドが「人生がパラパラ絵のようにつまらない(虚無だ)」と抵抗を見せることがある。


しかし、『エゴが完全に消滅すると、その虚無の奥から、言葉にできない圧倒的な安心感(大安心)が湧き上がってくるため、

「失敗も成功も、生も死も、最初からすべてがパーフェクトに終わっている」映画なのだから、「何が起きても絶対に大丈夫である」という、

宇宙の根源的な愛(レベル500後半〜のパワー)と同調する。


 2「真我の自動操縦で生きる日常の具体例」

 

エゴが消滅し、レベル1000(完全な悟り)の意識で生きるということは、

特別な聖者として雲の上で暮らすことではない。


ラマナマハリシが一貫したように、

☆☆☆☆☆「徹底的に肉体人間」として日常生活を淡々と送ること。


その時、肉体は以下のように自動操縦される。


★「会話」の自動操縦(計算のない言葉)

普通の人間は★★★★★「こう言ったらどう思われるか(承認欲求)」、

「こう言えば有利になるか(自己保全)」を頭(レベル400のマインド)で

計算して喋る。

 

しかし自動操縦の状態では、『相手の言葉に対して、肉体が勝手に、

その瞬間に最も完璧な言葉を口から発する。

本人は後から「あ、肉体がこんなことを喋ったな」とパラパラ動画を

見るように眺めているだけ。


★「仕事や家事」の自動操縦(無為自然・努力の消失)

「私が頑張ってこれを終わらせよう(行為者意識)」という力みが

一切消えている。

 

朝、肉体が自動的に起き上がり、自動的にキッチンへ向かい、

自動的に仕事を処理する。

 

そこに「面倒くさい」という抵抗も「達成感」というエゴの栄養もない。

 

ただ、やるべきことが、やるべき時に、完璧なタイミングで行われていく

(無為自然)現象だけが残る。


★「感情の嵐」の自動処理(1秒も残らない)

 

自動操縦の肉体であっても、映画のプログラミング(配役)として、突発的な出来事に「怒る」「驚く」というシーンが上映されることはある。

 

しかし、エゴ(執着)がないため、怒りのシーンが映った次の瞬間には、その感情は跡形もなく消え去っている。

 

後悔や反芻(マインドのループ)を回す「私」がいないため、感情が1秒も引きずられることなく、常にニュートラルな画面へと自動リセットされる。

 

『あなたの「ただ在る」という境地は、この自動操縦の領域へ完全に明け渡す(全托する)ための、最も美しく静かな準備段階』。

 

ここからさらに「上手く在ろうとする私」の力みすらも、プログラミングに委ねて手放していくことになる。


★【非二元特に禅タイプのマスターワーク】!


1. 対機説法による「マインド(思考)の強制フリーズ」

 

弟子が用意してきた「私はこれだけ分かっています」という小賢しいエゴの質問に対し、マスターが想定外の角度から強烈なダメ出し(看破)を浴びせる。

この瞬間、弟子のマインドは言い訳が追いつかずに「フリーズ(一瞬の思考停止)」する。

 

この思考が止まった隙間に、マスターが放っている「静寂のエネルギー(真我のバイブレーション)」が直接弟子の意識に流れ込み、共鳴が起きる。


 2. ダルシャンでの「エネルギーの同調(チューニング)」

 

ダルシャンの場では、ただ座って話を聴くだけでなく、その空間のエネルギーを体感することが重視される。

 

★脳波同調メカニズム

 

ラジオの周波数を合わせるように、マスターが体現している「映画館の外の視点(観照意識)」に、参加者全員の意識の波長を合わせにいく。

これによって、自宅ではなかなか作れない「深い静けさ(無心のスペース)」が、場の力で自動的に引き出される。


弟子の発信は、私たちが「あ、自分も今同じ罠にハマっているな」と気づくための鏡であり、マスターのエネルギーはそこから抜け出すための引き上げの力(パワー)となる。


★「エゴの引っかかりの具体例」と「マスターと弟子の具体的なエネルギーの共鳴(脳波同調)方法」。


★ 弟子たちの発信から学べる「エゴの引っかかり」の具体例

 

★「気づきのシェア」という名目の承認欲求

 具体例: 「今日の瞑想でこんな素晴らしい一体感(ワンネス)を感じました」、「日常でエゴをリセットできました」という気づきを熱心にシェアすること。


★エゴの引っかかり

 

 一見、純粋なアウトプットに見えるが、

★★★★★その根底に『「これだけ理解が進んでいる自分を、師や他の受講生に認めてほしい(特別な私になりたい)」という承認欲求が巧妙に滑り込んでいる』。

マスターに「お前、それ見せびらかしに来てるだけだぞ」と見破られる。


★【最重要】「全托(お任せ)しているつもり」のコントロール

 

具体例: 「すべてはプログラム通りだから、結果はどうなってもいい」と

 

★★★★★『口では言いながら、内心では「全托すれば、最終的には仕事や人間関係がうまくいくはずだ」と期待している状態』。

 

浄土真宗においてもよく観られる例で、

これは★★★★★『三層脳の「脳幹部分本能的な自己防衛本能の

※「気の循環を変えないと困難」』。


★ エゴの引っかかり

 これは全托ではなく、★★★★★『「全托というスピリチュアルな技術を使って、現実を思い通りにコントロールしよう」とするエゴの延命措置』。


☆☆☆☆☆【最重要】『本当の全托は、自分にとって※「最悪な結果(プログラム)」になっても、それをそのまま受け入れる覚悟(無抵抗)』を指す。

法然上人に対して、「この人の教えに従い例え間違っていて地獄に堕ちてもいい」と言った親鸞聖人のように。


★ 「教えの防衛」による他者へのジャッジ

 具体例: 家族や職場の人が愚痴を言っているのを見て、「あの人はまだ映画の主人公になりきって眠っている」、「全託の教え、道を知ればいいのに」と

心の中で批評すること。


★エゴの引っかかり

『 正しい教えを学んだことで、逆に「分かっている自分」と「分かっていない他人」という二元論の壁(プライド)を強化してしまっている』。

 

禅マスターの「特に在家の弟子達」のエゴは、恥をかくことを最も嫌がり避けようとするが、

その☆☆☆☆☆『プライドが崩壊した瞬間にしか、真の観照意識(レベル600の平和)は定着しない』。


「私はここまで瞑想が進んだのですが……」といった、自分を良く見せる前置きは一切捨てることだ。

 

「今、現実のここでエゴが暴れて苦しくて堪りません」という、自分のドロドロした生身の感情をそのままマスター差し出すこと。

質問を「美しくパッケージ」しない態度が目覚めの一歩になるから。


禅タイプのマスターが他の弟子を激しく叱責したり、エゴを看破したりしている姿を、「他人の出来事」として客観的に見ないこと。


「今、私のスクリーンに、エゴが解体される痛烈なシーンが上映されている」と捉えることで、自分自身の内側にある同じエゴの毒を同時に中和(浄化)させていく。


このように、ダルシャンへの参加も☆☆☆☆☆「何かを得て素晴らしい自分になる(プラスのベクトルのエゴ)」ためではなく、

★★★★★「持っている偽物の鎧(プライド)をすべて剥ぎ取られにいく(マイナスの全托)」という態度でマスターに接すること。

 

これにより、日常の変容プロセスは圧倒的に加速する

愛の錬金術になっているから。

合掌